曖昧な記憶のわりに「絶対に見た」と断言する人々

誰一人として証拠を挙げられない割に有名な「ここに10万人の宮崎勤がいます」事件、自信をもって未だに「見た事がある」と言う連中が後を絶たない。証拠あげれば終わる話なのに。発言したリポーターもバラバラ、チャンネルもバラバラ、番組名も定かではなく、放送日時もはっきりしない。何も絞り込めない。同じものを「見た」という人間が集まれば情報は具体的確定的になるはずが、一向にならないのは、事実が存在しないからである。

幽霊やUFOじゃない。テレビ番組だ。テレビ朝日の中継を日本テレビは流さない。だからテレビ局くらい一瞬にして特定できるはずなのである。それすら未だに特定されていない。何故「見た」と確信している連中は、どのチャンネルでどの時間帯に見たとさえ言わない?小学生の頃、風邪を引いて休んでいる時に見た。大学生の時に見た。見た見たという割に、提供される情報は常に曖昧である。「テレビ局に抗議を入れようと思った」。どこのテレビ局だ?書かないんだよなあ、何故だか。都市伝説化に抗議するなら、自分の記憶と真摯に向き合った上で発言して欲しい。日記も有力な証拠になる。誰もメモすら書いていない。それが本物だという証拠もないから提出しない?いや違う。そんなものは最初からないからだ。

チャンネルもわからない事があるか?土曜日に学校から帰って来た時は、吉本新喜劇を見るのが当たり前だった。毎日放送である事くらい覚えている。チャンネルすらわからないわけがない。「見たような気がするけど確証はない」程度に謙虚な者はまだいい。自信満々に「見た」と断言して都市伝説化を嘆き、また非難しながらも具体的な情報は全く提供しない者に薄気味悪さを感じる。根拠のない事に何故それほど自信満々なのかわからない。