アークザラッド 精霊の黄昏 15日目

+2時間
最終章まで。ラマダからミルマーナのイベントはなかなか強引な展開。「ディズルバルド帝国へ行くためにはラマダ山から越えるルートしかない」→「ラマダ山へ入るためにはラマダ山の教えを理解しなければならない」→「ラマダ山の教えが記された経典を発見。しかしスメリア文字で書かれていて解読不可能。」→「解読してもらうためにミルマーナへ。何とミルマーナは占いと鑑定で有名な国だった!」→「しかしスメリア文字を解読するには王族の許可が必要!何故かって?知らない。」→「なんとマルはスメリアの王子だった!」→「無事許可を得る。」
都合の良いことが起こりすぎじゃないか?そもそもラマダが広く門戸を開いているというのなら、その場で経典に書かれてあることを言って理解できたかどうか、試練で試せば良いだろう。解読禁止の経典にしか教えが書かれていないのだとしたら、門戸が広いとはとても言えない。グレイシーヌ人のイーガがスメリア文字で経典を書いているというのも妙だが、解読が禁止で王族の許可が必要というのが特にこじつけに思える。
マルが実はオレは王子じゃなかったんだと嘘をつく展開は必要だったのか。「生きていたのねお兄ちゃん!」「酷い!お兄ちゃんじゃなかったのね!」「やっぱりお兄ちゃんだったのね!」とマルに翻弄されるフォウが可哀想だし馬鹿に見える。
塔でシャムスンが死亡。ダッカムを狙撃しようとしたが、リリアに当たるのを恐れて躊躇している内に兵に撃たれてしまった。躊躇わなければダッカムを殺せていたという。ダッカムもバリバリの武闘派で、その後カーグ達と戦闘することになるが、その時は剣で斬ろうと魔法を浴びせようとなかなか死なないタフさだった。しかし銃なら一発で死ぬらしい。これはどういうことなのか?
戦闘シーンではゲームの都合上なかなか死なないが、実際は人間にせよ魔族にせよ、魔法や銃弾一発で死ぬ弱さということか?それならナフィアがダークをかばったのも間違いではなかったということになるが、これでは戦闘シーンと実際の強さにギャップがありすぎることになる。戦闘シーンはストーリーとは直接関係ないと解釈すればいいのだろうか。
ダッカム戦後、カーグvsダーク。どちらで戦うか選べるが、ストーリーは大して変わらない。ただ歩行グラフィックとキャラクターの順番はクリアまで固定されたと思う。ダークを選択し、カーグに勝った後みなぎる果実を稼ぐためにオルコスへ…行こうと思ったが、アルド大陸には行けなくなっていた。ダッカムに滅ぼされたのはカテナだけではなかったのか。なんてこった。これじゃみなぎる果実は稼げない。カーグの方でも当然カテナの闘技場は使えない。ラマダ寺で30回勝てばみなぎる果実が5個稼げるが、5個稼ぐのに1時間かかるんじゃ話にならない。どうしようもないな。どうしてもみなぎる果実を稼ぎたければ、1周目のデータを使うしかないようだ。