Twitterで検索しても「YouTubeで広告をブロックできなくなった」と愚痴を吐いている者が見当たらない。実際には不可能だ。どうやら広告にはブロックできるものとできないものがあり、前者の場合はマイアドセンターとやらにブロックの項目があり、また同ジャンルの広告を制限する事も可能になっている。それで実際にブロックや制限ができるかどうかはともかく、選択肢自体は存在する。ところがブロックできない広告の場合、項目すら存在せず、存在しない理由も明示されていない。ただわけのわからぬ日本語が並べられ、マイアドセンターとかいう意味不明な場所で何ができるか全くわからない。広告が存在する理由だの、審査がどうとか、御託を並べてはぐらかすばかりだ。

ブロックできない広告はYouTubeに保護されていると言える。何故か。問題のない企業あるいは広告である事が審査済みか、より多くの金を払ったかのどちらかだと推測される。前者だとしたら最悪である。こちらがブロックしたいと思う程醜悪な広告を審査して問題ないと思ったのならば、YouTubeも業者同様のゴミだと言える。人のコンプレックスを刺激するような写真を見せつけ、「同じ悩みを持つ者はきもいからはよ治せ。金くれたら治してやるよ。治る保証はないけど」と脅迫する。悩みを持つ者にとっては傷口をえぐられ、持たない者にとっては不快な写真を見せつけられている事になる。誰にも何の利もない。

昔はセンシティブな内容の場合、治った状態の写真を掲載するものだった。あるいは直接関係のない写真でもいい。悩みそのものを映すのは品性の点からいっても御法度だったといえる。たとえば勃起薬の広告で、半裸の熟年夫婦を映すか?半裸の妻を前に、半裸の夫がうんともすんとも言わぬティンクを見てため息をつくような写真を載せるか?そんなはずはない。熟年夫婦が仲睦まじく笑い合っている写真を載せるのである。この夫婦が仲睦まじいのは、夜の営みがうまくいっているからだと言いたげな写真にするのだ。それでさえ下品だと言うのに、今のネット広告は直接熟年夫婦のセックス風景を映す。あるいはババァの脱糞風景を映し、あるいは吹き出物だらけの顔を映す。ただの不快な写真を垂れ流す。

そういった広告を見た者がきもいだの不快だのという事で、悩みの当事者は二重三重に傷つけられる事になる。業者はそれさえ計算して、悩みを持つ者がより傷つく社会を望んでいるのかも知れない。そうすれば自分の商品が売れると。もしそういう考えで醜悪な広告を作っているのならば、この世から抹消すべきである。

後者でも当然最悪だ。より多く金を払った業者の広告がブロックできないのでは、利用者の好む広告を表示するという方針をYouTube自ら否定している事になる。広告に関する御託は全て嘘だという事だ。拝金主義にも程がある。絶対的にその商品を買わない者に広告を見せても意味がないというのに、業者の方はとにかく見せれば売れると思い込み、YouTubeは金さえくれるなら何でもいいという態度で、地獄絵図である。