ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めてS 85日目

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創作物における女の表現方法について、女性差別だ蔑視だと非難する者達が後を絶たない。胸元を露わにしたキャラクターに対して「女性蔑視され過ぎて泣いた」などとのたまう者が現れる始末だ。この者達は、実在する女が自らの意志で谷間を露わにしている事に対しては、何も言わない。迂闊に「女性がそんな格好をしなくてもいい自由な社会になる事を私達は願っています」などと言おうものなら、「好きでやってんですけど?」と言われてしまう恐れがあるからだ。女性の自由を標榜する建前上、女と敵対するわけにはいかない。
だから彼等(本来男女を区別しない)の標的は自ずと創作者になる。創作には意図も意志も付きまとう。「女の人物をこういう造形にしたのは、女に対する偏見、蔑視、差別意識があるからだ」という糾弾に対して、創作者が「そんな意図はない」と言ってみたところで意味はない。意図がない事を証明する事はできない。訴えた者勝ちの魔女裁判でしかない。「あなたに女性蔑視の意図がないなら、谷間を描くのをやめなさい。やめなければ蔑視しているとみなします」。どちらにしても要求は満たされる。
碧志摩メグは女性蔑視だ、甘露寺蜜璃は女性蔑視だ、宇崎花は女性蔑視だ。こうした主張が起こる度、ネットでは論争になっている。この3人のキャラクターに共通している事は、ひとまず乳房が豊満であるという事だ。乳房を豊満に描くという事は、女の性を搾取しているという事になるらしい。一方私は、胸の大きさなど全く強調されていないカミュの妹を、思いっ切りいやらしい目で、見ていた。
このゲームの過剰なまでの表現規制も、こういった世の傾向を受けてのものなのだろう。既に谷間は描けなくなった。やがては胸の膨らみが描けなくなる。肌の露出もどんどん減って来る。男らしい男がいなくなり、女らしい女もいなくなる。結果男らしい女と女らしい男だけの世界になる。敵の親玉が男ばかりなのは男性差別だとして、女の魔王が現れる。近年勇者が男ばかりなのは女性差別だとして、女の勇者が現れる。黒人がいないのは差別だという指摘もあり、更に障害者が……性的少数者が……少数民族が……あ~~~~~~~~~めんどくせ~~~~~~~。
それにしても「泣いた」という言葉を選んで弱者、被害者を装う気持ち悪さは糾弾されるべきだろう。だって絶対嘘じゃん。泣くわけないでしょ?「怒った」ではクレーマーに見えてしまうから、セクハラの被害を受けるかわいそうな「「女性」」を演出しているわけだ。男らしさ、女らしさというものを否定する立場にありながら、「「女性」」という立場を利用しようとしている。性別関係なく、大人が「泣いた」事を強調するか?せいぜい憤った、悲しくなった程度だろう。そこを「泣いた」。弱者を装いながら、創作者を差別主義者に仕立て上げるのは下劣極まりない。創作への攻撃に限らない。弱者を装って他人を苛烈に攻撃するという手法が流行っている。これは流行というより、古来より行われた伝統的な戦法なのかも知れない。