お絵描きセットを使い切る261

不明(不明)
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Twitterなどで家族とのやりとりを「私達面白家族でしょ?」みたいな感じで投稿している者を見ると不快になる。団欒のない家庭に育ったからだ。父親の強権的な家庭だったからという事でもない。ただ陰気だった。盆と正月には有象無象の親戚共が集まり賑やかになっていたようだが、20年以上その賑やかな場に参加した事はない。一族にとって私という存在はアンタッチャブルであり、少し前までの柴田なのであり、親戚が結婚しようとも死のうとも、冠婚葬祭の一切に参加した事はない。いないものとして扱われている。一回り以上年下で、15年以上に渡って毎年盆と正月に家に来て何日か泊まっていたいとこの顔を最後に見たのは、2,3歳くらいの頃だろう。同年代のいとこにしても一年に一度は必ず家に来ていたのだろうが、20年は顔を見ていない。

可哀想でしょと思って欲しいエピソードだから今までも書いた事があるだろうし、今後もしつこく書く。15年くらい前に書いた記憶がある。そりゃあそうだろう。二階で一人悶々としている中、一階の庭では10数人の一族がいて騒いでいて自分はその中にいないという状況が、如何にピュアな青少年の心を傷つけたか。それが10年も20年も繰り返されて今なお続いているのだとしたら、腐りもするだろう。もちろん生まれた時からボイコットしていたわけではない。どこかの段階でそういう場に一切顔を出さなくなった。はっきりとしたきっかけはない。元々そういう集まりに全く溶け込めず苦痛を感じていたのだろう。その内参加を拒否するようになり、やがて説得される事もなくなり、一族にとって自分という存在はないものとなった。

家族一族と疎遠な人間などいくらでもいるはずだ。他に居場所があれば何の問題もない。だが家にも学校にもどこにも自分の居場所がなかった。ネットにさえない。ソーシャルディスタンスなど生まれた頃からやっている。そこかしこで発生する人の輪の中に、自分の席など一つもなかった。この世の全ては椅子取りゲームであり、取る意思のない人間に席が回って来る事はない。おめえの席ねぇからとさえ言われない。ない事が当たり前だからだ。実家を離れた今、家族や親戚と会う可能性は限りなく0に近くなった。家にいて20年会わなかったのだから、もはや死ぬまで会う事もなさそうだ。そういう人間にとって「私達面白家族でしょ」は非常に痛い。羨ましくはない。自分の日常に団欒というものは存在しなかった。非現実的過ぎて羨む気持ちはない。だからといって何も感じないわけではない。嫉妬でも羨望でも憎悪でもない得体の知れない不快感を覚える。モテ自慢を聞いている感覚に近い。

陰気な家庭だった。家族について知っている事は少ないが、交友関係が広いとは思えなかった。陰気な人間が家族を持ったところで、所詮陰気な人間が生み出されるだけだ。陰気の連鎖である。婚姻率が高かった頃はそれでも陰気の血筋は続いたのだろうが、晩婚化、非婚化していく今、陰気な人間は家族を持つ事はない。つまり陰気な血筋はどんどん絶えていく事になり、いつしか日本はパリピしか残らなくなるだろう。現在感染症の拡大により、パリピはノーマスク3密で普通にウェイウェイしているから、感染リスクが高い。ではパリピは淘汰されるのか?それはない。孤独だったり笑わなかったりする陰気な者ほど、要介護並びに疾病リスクが高いのである。逆に言えばパリピは免疫力が高く、そういったリスクが低いという事だ。だからパリピは感染しても生き残る。一方非パリピは感染すれば死に、感染しなければ抗体を獲得しないまま高齢化する。やがて更に変異した新型コ  の感染爆発が起こった時、抗体を持たない非パリピが真っ先に死ぬ事になる。更に非パリピの淘汰が進み、いよいよ日本は一億総パリピ時代に突入するのだ。ちょっと何言ってるかわからない。