零 ~月蝕の仮面~ 45日目

+30分
クリアする。灯台に入る前と戦う奏が面倒くさかった。イージーとは思えないほど怨霊がタフである。霊は壁をすり抜けるから嫌いだ。生前の思いに囚われている割には、物質をすり抜けるという生前できなかった事をやる。どこが縛られてんだよ。羽ばたいてんじゃねえかよ。
灯台での親父3連戦は強く記憶している。何を考えてこんな構成にしたのかわからない。出過ぎだろういくらなんでも。ピアノに備え、セーブポイントまで一旦戻る。前回のピアノにも苦戦した。ピアノに3回連続で失敗すると、倒したはずのボスが復活する。弟子との戦いで鏡石も失ったから、復活イコールゲームオーバーという事もあり得る。通常攻撃ではあまりダメージを与えられないが、強化フィルムを使うとどんな敵もだいたい一発で倒せた。ピアノも失敗せず、無事エンディングを迎える。
イージーモードのため、スライドショーはなかった。多分ここで麻生が生還する描写があったはずだ。
ストーリーを理解するため、霧島の事件調査記録を見る事にする。???だらけだった。他のファイルと違って、次のプレイに持ち越されないようだ。ナイトメアモードの終盤のデータをロードしても同じだった。1周目のデータが一番充実している。しかしそれでもちらほらと???がある。ハードモードあたりで全部見られるようにしたはずだ。だがそんな事も忘れ、ナイトメアモードなどのセーブで上書きしてしまったのだろう。今更これを見るために攻略サイトを見ながらプレイするのはいやだ。ネットにないか探すが見当たらない。見当たれよ。手帳内の文章を検索する。0件だった。存在しないという事である。存在しろよ。
死んだはずの刑事が流歌の年齢を17歳と把握している事がどうしても納得できないが、その辺は考えても仕方がないのだろう。
また亞夜子が耀と朔夜の子供であるという考察があると今更知る。耀が自分に似てと言っていたり、亞夜子に名字がないのが不自然だとか、灰原家に保護されている、事件の前に自殺した院長の妻が生んだにしては多分計算が合わない、亞夜子の最期の手記に「おかあさん」と書かれている事などがその根拠だそうである。ははん。言っておくが自分は亞夜子の「おかあさん」など、よくある今わの際の言葉としか解釈してなかった。読解力の鬼だから。耀の「自分に似て」という記述はどう思ったのか?いや、親戚でも似てるとかって話になる事あるじゃん。隔世遺伝とかあるし。そういうノリで、亞夜子がどこの誰の子なのかは「灰原家の子」以上には考えてなかった。耀が姉と亞夜子の3人で暮らすつもりだったという事についても、「仲のいい親戚だなあ」としか受け取っていない。読解力の鬼とはそういう思考回路をしているのである。恐れ入ったか。
エアリスが売春婦だとかリノア=アルティミシアだとか、そういう盛り上がったもん勝ちみたいな珍説は嫌いだが、これは珍説と言うのは苦しいかも知れない。あとあれ。亞夜子が無苦の日の後に生還している事も知らなんだね。生き残りの少女というのが亞夜子だそうである。
でもどうだろうか。他の零シリーズでは、そこまでストーリーを把握していないという事はなかったはずだ。本編で語られない事が多すぎるのではないだろうか。本編にしても、結局月蝕の仮面って何やねんとか、どういう儀式やねんとか、そういった部分は他のシリーズより理解が難しいだろう。紅い蝶などシンプルである。穴を封印するために双子で儀式やらんといけん。双子の一人逃げよった。残った一人で儀式やったけんど失敗してもた。わかりやす。月蝕はまず儀式が何のために行われるもので、主人公は何のために島に帰ったのかという点からして、一言で説明できない。一言で説明しなきゃならんのかと言われると困るが、シンプルであればあるほど理解はしやすい。
ところで、親父は戦闘中、「儀式には面が必要なのだ」と連呼する。それを「日清には麺が必要なのだ」と言い換えるツイッタラを見かける。「麺が必要なのだ」はわかる。ただ「日清」と「儀式」は全然違うやないか。1ミリも掛かってない。自分の感覚からすると「儀式には麺が必要なのだ」の方が絶対面白い。少なくとも「日清には」という無理矢理な言葉を付け足すよりは。あと日清は麺以外にも手広くやってますので、麺がなくても大丈夫だから。君達はどの日清が好きかな?ぼくは日清シスコかな。