今週も叩かずにはいられないドラゴンボール超 #129

この作品に限った事ではなく、トーナメントもの、あるいはバトルものの共通の問題かも知れないが、試合で一度選手が何らかのやりとりをする度、外野が口を挟むのは何とかならないのか。一切口を挟むなとは言わないが、試合より解説時間の方が長いのは鬱陶しい。選手を置き去りにして外野が口論を始めたら目も当てられない。
解説はある程度必要なのはわかる。ただ散々うだうだ外野が喋っておいて、最終的に「もうゴチャゴチャ言うのはよそうぜ。勝負を決めるのはリングの二人なんだ」とか言い出して締めるのもうんざりだ。お前(脚本)が喋らせてんじゃねえかよ。と思っていたら、ビルスが「黙って見ていろ」と言い出した。一種の様式美なのか?基本は試合そのものを描き、補足に解説が入る程度がいい。

完全なる身勝手の極意とやらに目覚めた悟空。また髪の色が変わった。カードゲームに使えるという理由で増やしてるのではないかと勘繰りたくなる。新しいバージョンが出てくれば、その状態のカードを手に入れようとまた子供厳密にはその親がいっぱい金を出す。黒髪、界王拳、金髪、金髪2、マッチョ1〜3、金髪3、赤、青、青+赤、勝手、灰色、4、大猿、フュージョン……悟空を揃えるだけでも何形態あるんだ。鳥山サンはどこかのインタビューで「ゴッドになれるようになったら、無駄の多い2〜3にはなる事はない」みたいな事言ってたのに、結局なってるよな。統合しろって。黒い界王拳とマッチョは実質廃止されているが、2らしいのはちょこちょこ出ているし、神の世界が何だったのかさっぱりわからなくなったゴッドも忘れた頃に出して来る。忘れよう一旦。
今回のジレンは静かだった。説教展開にはならないのだろうか。それとも次回以降なのか。体が勝手に動くという身勝手の極意は、ゴチャゴチャ喋るのには合わない。是非純粋に戦って欲しい。絆がどうとか信頼がどうとか、そんな事を言いあう戦いにならなければ大満足だ。

最近ジャンプなどで見かける人造人間21号が何なのかと思って軽く調べると、詳細は不明ながらもモデルかベースがDr.ゲロの妻で、16号は死んだ息子がベースになっているという設定になっているらしかった。後付けでも謎が解けるのを良しとするのか嫌がるべきなのか。伝説の超サイヤ人バーダックだった!みたいなのは到底受け入れられないけども。時間の流れがおかしいだろうがよ。
そしてこういう設定は、出典を明示する事なく情報が拡散されるからややこしくなる。連載中にムックで原作者が述べた設定と、連載終了10年後に原作者が述べた設定とは区別する必要がある。原作者が述べたのか、アニメの脚本家が述べたのかも当然重みが違う。なお16号のモデルが息子だという記述は、「DRAGON BALL 総集編 超悟空伝Legend 13 集英社マンガ総集編シリーズ」内のインタビューにあるそうだ。今後ドラゴンボールの特集本が出ると、こういった設定は出典が明示されず書かれるのだろう。今後どころか、既存の本を読んでも「何だこの設定?いつ決まったの?」と思いそうだ。