今週も間延びしているドラゴンボールZ #201

ベジータにしわが描き込まれている。原作でもそうだったと思う。サイヤ人は年を取らないというのは作中の10年後に作った設定で、この時はなかったのかも知れない。現在は更に「敵を油断させるために青年になるまで幼児体型のままである」などという設定が足された。何故戦闘民族が敵の油断を誘う必要があるのか?順調に成長すれば良いだけではないのか?種族そのものに「敵を油断させる」という能力が備わっているのは、かつてそうせざるを得ない程の天敵がいた事を意味する。レベルEでやってた。子供の頃に異星を侵略するには幼児体型が役に立つ?立たないだろう。むしろ早く成長期が来た方がいいに決まっている。何より生態が変わるほどの長い年月、他の惑星を侵略していたとは思えない。知能を持つ前の話だろう。天敵との生存競争に勝った今、幼児体型が長いという生態は戦闘民族にとっては全く無駄なものとなったのである。
ブウ編で色々なキャラクターの性格がギャグ化し、壊れていった。良く考えると、悟飯もグレートサイヤマンで十分壊れているはずなのだが、不思議と壊れたとも変わったとも思えない。潜在的に「真面目な奴は何をするかわからない」という偏見があるからだろうか。悟空の真面目さとは方向性が異なる。
バスジャックが現れた時、バスの乗客は「バスジャックに会うなんて初めてだ」とその状況を楽しんでいた。ペンギン村じゃなくてサタンシティなのに、何故こんなぶっ飛んだ思考回路なのだろう。強盗に対するリアクションは普通だった。バスの乗客だけがおかしい。救世主のいる町だから絶対に大丈夫だという安心感があった?いや銀行では撃たれてたと思いますけど……あとそんな安心感があるなら犯罪者も避けるはずだ。ビーデルが来てから安心するならわかるが、ビーデルが来る前から緊張感がなかった…………かどうかは忘れた。緊張感のない観光客というとターちゃんのエピソードを思い出す。