今週も不安なドラゴンボール超 #56

序盤のレジスタンスのシーンは気持ちが悪かった。「そういうの描きたかっただけだろ?」感がすごい。ドラゴンボールでやらなくてよくないか。地球人が群れたところで今の敵と戦えるわけがないだろうと思うが、この作品においては戦えるのだろう。新しい敵や形態が増え続ける一方で、戦闘力の価値は下がり続けている。だから相対的に重火器の価値が上がり、また戦士がちょっと怒るだけですぐ最強に躍り出る。

何度も言うが、マイが若いのはおかしい。マイが正義の味方なのもおかしい。結局マイ関連も「そういうのが描きたい」だけなんだろう。元はといえば、神と神で若返ったマイとトランクスをくっつけた事から発展させたネタなのだろうが、釈然としないものがある。
漫画版で言い訳がましく「人造人間出現前にドラゴンボールを使ってました」というシーンを描いたらしいが、詳細がわからないから何とも言えない。ただ「人造人間出現前に使った」と言い訳する可能性は、#47の感想で既に述べている。その頃の若いピラフ一味が、自分達を若返らせる必然性は皆無だ。
もっとも「シュウは犬だから寿命が短い」という考え方をしているなら、シュウを生かすために使ったとか、ピラフが実はジジイでしたといった解釈で乗り切る可能性はある。シュウの寿命が短いというのは明らかに誤りだし、ピラフだけがジジイなら他の連中が若返る必要はない。連れション感覚で若返ったというのか。マイも30前後だっただろうから、多少なり若返りたいという思いはあるかも知れない。
しかし何をやろうが新たな矛盾が生まれるか、不自然さが生まれるだけだ。結局「どうやったら未来の次元でも若いマイを出せるか」から出発しているのだから、どうしたって無理は出てくる。ただ唯一の救いは、原作でピラフ一味がピッコロ編から後に全く登場していない事だろう。「実はどの歴史でも若返ってました」と言い訳できる余地はあるにはある。……いや、ねえな。「神と神」では「この前やっとシェンロンに」といったセリフがあった。いくらなんでも10年近く前の事を「この前」たあ言わんし、園児姿のピラフが10歳以上という事も考えにくい。超の歴史においてピラフ達が若返ったのは、人造人間出現よりもっと後だ。なのに別の次元では、それよりも前に若返っていると?
この言い訳のシナリオを一体誰が考えているのだろう。多分誰かが尻ぬぐいしたんだろう。偉い人が「未来でもマイとトランクスのカップルを出しちゃおうよ!」と言ったから。世の中の悪い事は全部偉い人の思いつきが原因なんだ。という事にしておこう。その偉い人が鳥山大先生でも不思議ではない。

追記

後に漫画版の釈明シーンを読んだ。「特別マンガ」と称して2ページで描かれている。人造人間襲撃中、ドラゴンボールを使うために一人戦場を離れた悟飯の下に、ブルマが現れる。ドラゴンボールが一カ所に集まっているという。その場所ではピラフ大王一味がシェンロンを呼び、「オレたちをうーんと若くしてくれ!」と願っていた。願いが叶い、神龍が消滅する寸前にピッコロが死亡。ドラゴンボールは散らばる事なく、その場で石コロとなった。この時ブルマに背負われたトランクスと、赤子になったマイが一瞬視線を合わせている。「これがトランクスとマイの最初の出会いだったとか」というナレーションが挿入されている。
如何にしてつじつまを合わせるか?を頑張って考えましたという印象が拭えない。まずとよたろう氏が頑張ってるのは、精一杯ピラフ一味を老けて見えるように描いている事だ。人造人間編でそんなに年行ってるわけないから、老人のようには描けない。だから歯抜けにしたりして、「苦労してる分老けてるんです」と言いたいのだろうと思われる。
ピラフはエイジ715生まれだという。ソースは不明。人造人間襲撃はエイジ767だから52歳。まこちゃんほんとは52さ〜い。そりゃ全国の52歳諸氏に若返りたいかって聞けば若返りたいと答えるだろうけど、他の願いを捨ててまで願う事か?「ピラフはおっちょこちょいだから」という理由で押し切ろうという肚なのだろうか。レッド総帥と違って、ピラフ大王は最初から世界征服をシェンロンに願う気だった。それに失敗すると、今度はピッコロ大魔王を復活させて利用しようとしている。ピラフ一味はマイが自分で言ったように「サイテイ」な連中だ。最低で抜け目がなく狡猾だ。それだけに、念願のシェンロンに対して、いい加減な願い事をするのかという疑問もある。
「超」でもこの時代に若返っていた場合、登場時には12歳になっている。彼等は園児の格好で、とても12歳には見えない。もっともドラゴンボールの場合、サイヤ人にしてもクリリンにしても少し年下であろうウパにしても、子供はとことん小さく描かれる傾向にあり、ピラフ一味が実は12歳だったと言おうと思えば言えるかも知れない。ピラフの生年設定を無視し、もっと高齢だったという事にしてもいいだろう。原作と関係のない部分で決まった設定など無視したって構わない。
いずれにせよ辻褄合わせは所詮辻褄合わせで、説得力はあまりなかった。ただし矛盾だと言える程の矛盾もない。「超」でピラフ一味の若返った年代が問題だが、「この前」と表現したのは「神と神」で「超」とは関係ないとすれば、それも追及できなくなる。若返った年代が「超」と未来の世界で異なる場合に何が問題か。人造人間出現時にそこまで歴史が違っているのはおかしいからだ。セルの介入によって歴史が大きく変わったとはいえ、ピラフ一味にまで影響があるとは考えにくい。本編の歴史では、悟空達がシェンロンを使っている。しかし人造人間出現時にはまだ集めていないから、ピラフ一味が集めなかった理由がわからない。「人造人間の開発状況も違うんだから、ピラフ一味の行動だって変わるだろうさ」という事で納得するのか。まあ何を言おうが、未来にピラフもシュウもいない時点で、「若いマイが欲しかっただけだよ〜ん」という結論になる。

一時悟空と並んだベジータもすっかりカマセーヌに成り下がり、変なサイヤ人になった誰かに負け、悟空もまた劣勢になった。特に気にならないブラックの正体は、変な界王神ではなかったという。誰でも良いさ。何だって良いさ、もう。