今週も不安なドラゴンボール超 #31

スラゴンボールを見つけるためには銀河の中心に行かなければならない。銀河の中心に行くにはジャコの協力が必要。「界王神を頼ればいいんじゃないの?」「今何故かいねえんだ!」ややご都合主義を感じたが、いないなら仕方ない。界王神にも都合はあるよな。確定申告とか、免許の更新とか。

ブルマの姉の声がブルマと同じなのが気にかかる。双子でもなく似てもいないのだから、全く別の声で良かったんじゃないか。ブラはほぼ生き写しだから、同じでも違和感はない。

間をつなぐ話なのか、登場人物はジャコとブルマが中心で、且つ今までのドラゴンボールの世界観とあまりにかけ離れた設定や人物が出てきたから、東映のオリジナルアニメを見るような感覚だった。

どんな質問にも答えられるズノーという人物が登場する。今や知恵袋になりつつあるシェンロンと役割が丸被りの気もするが、シェンロンがわからないことさえ知っているという。何故それほどの知識があるのかという疑問は当然沸くが、そんなことを気にしても仕方ないのだろう。わかるからわかるのだ。だったらバビディの居場所聞いてりゃ良かっただろとかブウの封印の呪文を聞いとけよとか色々思うが、界王神はこの人を知らないんでしょーよー。フリーザサイヤ人もみんな知らなかったんでしょーよー。食い逃げ犯は知ってたけど、たまたまなんでしょーよー。あるいはよほど有害な悪人からは持ち前の知識で逃げてるんでしょーよー。

ブルマは無理矢理若返っても尚年増ネタを執拗に使われている。それなら見た目も年増のままで良かったと思うが、年増がヒロインをしてはいけないという不文律があるのかも知れない。年増どころではないか。「超」が最終回で原作に繋げるようなことはしないとは思うが、仮に繋げるとするなら、今のブルマはあと数年で「すっかりオバサン」になるということになる。あのオバサンを否定するくらいなら、繋げない方がいい。

ベジータやピッコロをネタにされると、元々の性格とのギャップが気になるが、ジャコやブルマはそれほどギャップがなく、あまり気になるようなことは起きない。そもそもジャコにはギャップなどない。原作にいねーし。