今週も不安なドラゴンボール超 #16

今回も日常回。次のシリーズの予兆のようなものも描かれている。ビルスとのおちゃらけた戦いでも、ゴリーザのリベンジマッチでもない戦いをどう描くだろうか。シリアスなのかギャグなのか。

クリリンが昔を振り返り、「今や破壊神ビルスと互角に戦えるようになったんだもんな」というようなことをしみじみ語っていた。いやおたく、破壊神ビルスなんてこの間まで知りませんでしたやん。むしろ「これほど強くなった悟空よりもっと強い奴がいるなんて、まだまだ世界は広いヅラな」と思うべきところじゃないかな。

悟空が強くなったと言いたいわけだからそれではおかしいのだが、ビルスはものさしとしてはあまりにも新しい。「まさか王貞治国民栄誉賞を受賞するほどになるとは」と言っちゃう感じか。その時初めて作ったものだから、まさかも何もないだろうというか。「まさか中川家がM−1で優勝するとは」……別におかしくない気がしてきた。ビルスは宇宙一の象徴であり、彼と互角に戦うことは、宇宙一になったことを意味する。それについて感慨にふけるのも普通の事か?いや、なんかどうもな。やはり違和感は残る。

ブルマはウイスに地球の料理を振る舞い、もう一度地球が破壊のターゲットにされても、自分や家族だけは助かろうと画策していた。復活のFでもそうだったが、ビルスウイスは中立を装いながらも、どちらかといえばというか完全に地球側についている。だから本来負けか相討ちだった悟空達が完全勝利を収めることになったわけだ。

彼等が地球に付くのは、ブルマの根回しによるところが大きい。超でもその路線が踏襲されるようだ。つまりこれからのドラゴンボールで怖いのは、ビルスと敵対するのではなく、料理で手なずけようとする存在だ。負けた方が惑星を破壊されるという料理対決も起こりえる。それはないとしても、ビルスウイスとは「いつ敵になるかわからない」という距離感を保って欲しい。

ベジータウイスの弟子になろうと、またギャグキャラと化して料理のプレゼンをしていた。既に崩壊しきっているから、もうキャラ崩壊とは言わないはずだ。何も失うものがない。まだ失っていないとすれば下ネタ方面のみか。いや待てよ。「チチのチチを」とか言ってなかったか。ではやはり、ベジータはもう失うものがない。何をしても崩壊はしない。現時点で粉々に崩れている。

真面目なキャラクターは、崩壊させることで笑いが生まれる事もある。天才マンが野球拳でノリノリになった時は衝撃的だった。ではベジータが今、若いチャンネエにデレデレして鼻の下を伸ばしたら衝撃だろうか?「ふーん」で終わってしまいそうな気がする。歌って踊っていても「ふーん」になるくらいだ。あーはいはい、面白いベジータ出たねー、で終わる。何をやっても驚かれないというのは、芸人としては末期状態のような気がする。誰が芸人やねん。

ベジータは気の制御ができるようになれば強くなるという。卵も満足に割れないのは、気の制御ができない=力加減ができていないということなのかも知れないが、ベジータは既に戦闘力を0にする術を持っている。日常生活においては必要最低限の気しか使っていないはずだ。卵を割ってしまうとしたら、気がどうのじゃなくて、生身の肉体の力加減がおかしいだけじゃないですくゎ。深く考えるのはよそう。GTや劇場版のみだが、ベジータフュージョンで「気の大きさを相手と同じにする」というプロセスで手こずったことはあるのだろうか。他人と同じ気の大きさにできるなら、もうそれは完全にコントロールできていると言って良さそうだ。