今週もひどいドラゴンボールZ劇場版 復活の「F」

※「今週もひどい」は「ドラゴンボールGT」の感想記事のタイトルの名残であり、特に意味はありません。

かつて「神と神」に対しては、「人々がイメージする設定に再構成された」といったようなことを述べた。今回はさらにそれが顕著で、強さのバランスは矛盾というより破綻している。シェンロンの言葉を借りると「リニューアルした」になるだろうか。自分としてはその点がどうしても気になった。原作との差違を気にすると楽しめないことは百も承知ながら、「これは別物なんだ」と言い聞かせるだけでは押しのけられないほど、強烈な違和感の嵐だった。この作品を見るには、ドラゴンボールの強さに関する知識を完全に封印するしかない。「原作とは強さの設定が異なります」と受け取れるような公式コメントがあれば3倍は楽しめた。映画を見てから読む事を推奨している特典の本には、「設定を自由にいじった」というような鳥山氏のコメントが掲載されている。それを先に知っておけば印象も変わっただろう。

登場人物は限られ、サタンや悟天達、ブウはほとんどか全く出てこなかった。クリリンもわざわざ頭を剃ったところからして、ある程度フリーザ編の雰囲気に戻そうという意図があったのではないかと思う。ピッコロ、悟飯の極端な弱体化はその影響だ、と思っておこう。ストーリーは明らかにブウ編の後だが、強さの位置づけや雰囲気としてはフリーザ戦の直後に近い。ピッコロやベジータも以前の引き締まったキャラクターに戻り、ビンゴ〜!などと叫ぶような顕著なキャラ崩壊はなかった。それは良いことだ。

終始おちゃらけた「神と神」と違い、基本はシリアスだった。シリアスなバトルメインの話を期待していたから、その望みは叶った。日常シーン多めを期待していた人がいたなら、「殴り合ってるだけじゃんこれ」と思うかも知れない。筋書きとしては非常に単純で、実際「フリーザが来て殴り合いました」という程度のものだ。アクションシーンが豊富なのは嬉しいことで、映画を見た後はしばらく脳内でドラゴンボール的な戦いが続けられた。

「矛盾は気にするな矛盾は気にするな」と自己洗脳したおかげで、フリーザ復活の話もわくわくできた。かつての劇場版のように終始シリアスということはなく、ビルスウイス、ジャコなどによって雰囲気が度々弛緩した。シリアスながらも、緊張感は物足りないものがあった。それはギャグが挟まれるからではなく、フリーザが物足りない強さだったからだ。悟空が一対一でも最終的には優勢になる程度で、従来の劇場版の敵と比べても弱い部類に入る。どうせ強くするならもっと強くしてもらいたかった。

当初優勢だったフリーザが劣勢になったのは、「スタミナ不足」という情けない理由だった。これはもうちょっと何とかならなかったと思う。それでもフリーザは頑張った。スタミナ不足で劣勢になると部下に悟空を狙撃させて倒し、咄嗟の地球爆破でベジータをも倒した。ウイスの「今のなし」というとんでもなく卑怯な技で負けはしたが、勝負としては完全にフリーザの勝ちである。直接的な敗因は、復讐心に駆られたからでもスタミナ不足でもなく、「破壊神が敵に味方したから」という救いようのない原因だから、フリーザとしてもやりきれないだろう。この映画が伝えたかったのは「権力者への根回しは大事」ということなのではないだろうか。ジョークで言っている。

アクションシーンが豊富で、フリーザのキャラも立っている。脇役も十分活躍し、鳥山脚本らしい畳みかけるようなどんでん返しの連続は、これまでの劇場版にはなかった要素だ。だが原作の知識や、「いくらなんでも光線銃では倒れないだろう」「連戦するなら2対1と一緒じゃん」といった様々な部分に違和感を覚え、素直には楽しめなかった。「こういうものだ」と割り切ってからなら、各キャラの強さも気にならず、純粋にストーリーとアクションを楽しめるのではないかと思う。