今週も間延びしているドラゴンボールZ #72

今回ようやく、フリーザの宇宙船でウロチョロしていた部下をベジータが全滅させたようだ。
ギニューは一見武人のような性格ながら、自分より強い者が現れたら体を取り換えるのはわけがわからない。どうも前半と後半で性格が変わってしまった感がある。後半が地の性格で、前半は自信から武人を気取っていただけなのかも知れない。本来の体の持ち主がそういう性格だったという事も考えられる。
悟空の体では戦闘力をコントロールできないのに、何故前の体ではフリーザが宇宙二と認めるほどの実力を発揮できたのだろう。そもそもあの体は誰だ。ギニューの最初の体ということはあり得ない。ジースもボディチェンジを知っているくらいだから、元は別人の体であろう。つまりギニューは別人の体を宇宙二の実力になるまで使いこなしていたということだ。使いこなせていないとすると、ギニューの体の持ち主は本来もっと強いことになる。それもまたロマン輝くエステールだが、何の描写もない。ともかく、悟空の体を使いこなせないという原作の理屈は、納得しがたいものだった。
アニメでは悟空ギニュー共に、肉体に慣れていくという説明が入り納得がいった。つまりアニメの解釈では、やがてギニューは悟空の体を使いこなせるようになるということだ。もっともアニメであろうと、ギニューにとってすぐに18万の戦闘力を発揮できないのは誤算だったようだから、やはりボディチェンジはよくわからぬ技のままだ。12万の体を使いこなすのに時間が必要だったのなら、悟空の体も慣れる時間が必要であることくらい察しが付く。それを想像すらしていないのなら、やはりギニューは奪ってきた体をすぐに使いこなしてきた実績があるということだろう。
悟空の体だけうまく扱えなかったのは、宇宙人の一般的な戦闘スタイルと、気の流れを感じ取る地球流のスタイルがあまりにも違いすぎたからか?地球流というか、界王流なのか。考えても詮ないことか。
結局は作劇の都合のような気がする。悟空の体はスピードが速いとか言っていたから、あの時はちゃんと強かったに違いない。ただ実際戦わせる時に「あれ、これ絶体絶命じゃん」ということに鳥山氏が気付いて、「そうだ、体を使いこなせないことにしよう!」という話に持っていったのではないだろうか。まむがかをなめすぎか。ごめんなさい。すいません。謝ります。でも週刊連載はそういう要素も多少あるとは思う。