今週もひどいドラゴンボールZ劇場版 地球まるごと超決戦

今回も早々にシェンロンが現れたが、ドラゴンボールを使ったのは悪役ではなく主人公側だった。願いは「山火事にあった森を元に戻す」。そんなことでドラゴンボールを使うなと思わなくもないが、一人の人間を蘇らせるのも考えようによっては「そんなこと」か。下らないことにドラゴンボールを使ったのは、「どうせ最後にドラゴンボールを使うんだろ?」という予想を封じるためか。

Zに入ってから、序盤は悟飯が主人公という状態が3回も続いている。もうちょっと違うアプローチで攻めて欲しい。悟飯は映画ではウーロンだのクリリン他とよく遊んでいるが、多分実際はそこまでプライベートで付き合いはないと思う。実際って何だといわれても困る。

ハイヤードラゴンがシェンロンを敵と思って攻撃しようとしていたところが新鮮だった。シェンロンを知らなければ敵と思うのも無理はないが、あそこまでタッパが違う相手に襲いかかるだろうか。

今回は今まで出番のなかったヤムチャ天津飯達も参戦している。しかし少し前ならいざ知らず、もはや今の段階では役に立たない。ガーリックの頃なら十分活躍できただろうに。戦いのシーン自体も短い。原作のパワーバランスが反映され、怒った時のみ強かった悟飯が平常時でもヤムチャ達より格段に強くなっていた。戦闘力が10000ということは、最長老の力でパワーアップしている時期のパラレルということだ。それならばクリリンもそれに匹敵する強さのはずだが、全く活躍していなかった。この差は何だ。

制作時期が半端なためか、キャラクターの戦闘力が中途半端だった。ピッコロが18000で悟空が30000だという。どちらも原作ではそんな戦闘力だった時期はない。悟空がナメック星に到着する前くらいの制作だろうか。ギニューの「60000ほどとみた」というセリフが存在した時期ならば、30000で驚くターレスというシーンは描くまい。ただ10倍界王拳を使ったのは、「10倍くらいまでなら耐えられる」というセリフがあったからだろう。

幹部クラスとの戦闘シーンが短いため、前作と違ってそれぞれの個性は外見以外薄い。ターレスとの関係性もただの部下でしかなく、ただ出てきて、ただやられるという役どころでしかなかった。ガーリックの部下も似たようなものか。

ターレスは人工月を作って悟飯を大猿にした後、自分が大猿にならないために即座に破壊。大猿になりたがらない理由がわからない。まさか「醜くてイヤ」というわけでもあるまい。大猿になって理性を失わないのはベジータのみの特権という解釈だからだろうか。ラディッツやナッパが理性を失うとは思えない。

大猿になった悟飯相手に悟空が苦戦するも、ハイヤードラゴンの乱入で悟飯は一時凶暴性を失う。父親には攻撃できて、ドラゴンには攻撃できないらしい。悟空の立つ瀬がないんじゃないか。しかしこのハイヤードラゴンはやけに存在を主張する。登場作はこの作品だけではなかったような気がする。自分がどうかは言わないが、嫌いな者も多そうだ。

最終的に、悟飯は悟空の気円斬によって元に戻った。この段階で悟空が気円斬を使っていたとは知らなかった。原作が後発だったのか。もっとも気円斬ベジータがすぐ模倣して使っている*1。悟空が使うのも十分考えられることで、映画スタッフの勇み足とは言えない。

追いつめられたターレスは、地球の栄養を吸い取った樹の実を食べてパワーアップ。悟空に苦戦していたのが一転、10倍界王拳の悟空をも圧倒する程強くなった。いくらなんでもたかが実一つで強くなりすぎじゃないか。どんな栄養価だ。この辺は、界王拳の上限を10倍以上にしてしまったことによる弊害だろう。界王拳を使っても勝てない敵を出すとなると、平常時の悟空より数十倍強くしなければならなくなる。それでもターレスの戦闘力はせいぜい3,40万といったところで、超絶インフレの前としては無難ながらも驚異的だ。

ターレスはこれまでの敵と趣が異なり、同じサイヤ人である悟空や悟飯を最後まで仲間にしようとしていた。仲間にならないことを知れば墓ぐらい建ててやろうと言い、それでも降参すれば許すとさえ言っていた。やけに優しいサイヤ人である。悟飯に破壊の楽しさを教えようと大猿にするのも、サイヤ人としては理に適った行動だ。頭をぶつけていない純粋なサイヤ人の中では一番慈悲深い。バーダック型はサイヤ人の中では優しい種なのかも知れない。

最後はお決まりの元気玉となった。とりあえず元気玉使っときゃいいんじゃねえの感丸出しだ。もっとも「龍拳」なるオリジナル技を見せられると、それはそれで「う、うん……」と苦笑い気味になってしまうから、どうやって敵を倒すのがベストなのかはよくわからない。

地球はターレス達の行動によって急速にエネルギーを失っていた。その弱った地球から元気を吸い取るのは鬼畜の所業だ。案の定元気玉は通用せず、滅び行く地球をさらに弱らせただけに終わった。使う前からわかりそうなものだ。

その後、地球のエネルギーを奪った樹から元気を吸い取った元気玉ターレスを撃破した。ここは予定調和だから良いとして、気になるのはテンポの悪さだ。元気玉を作るあたりから、セリフも何もなく、ただBGMが流れているだけというシーンが多い。少し程度なら雰囲気作りとして納得できるが、許容範囲を飛び越えている。度々挿入される自然の描写も長いし、悟空とターレスが見つけ合う時間も長かった。荒廃した地球は、元気玉の気が地球中に散らばって勢いで元に戻った。崩壊した建物や死んだ者まで戻るはずがない。ここはドラゴンボールを使って良かったんじゃないかと思う。

エンディングテーマが変な歌で、歌詞が「ほらすぐ後ろ破壊の神々 それが俺には見えるのさドラゴン!ドラゴン!」という混沌としたものだった。ドラゴン!ドラゴン!の意味不明さがすごい。「破壊の神々」はある意味「神と神」の内容を予言しているとも言えるが。

今回の敵のターレスは変身しない生身の人間という、Zの映画では珍しいタイプの敵だった。宇宙人や怪物より迫力は欠けるかも知れないが、悟空達と同じ土俵である分より強さがより引き立つ。何より人間同士の戦いは好きだから、ターレスがボスでは唯一の人間なのは惜しいところだ。今後登場する筋肉お化けは人間には含まれない。

*1:元々ベジータが使っていた技なら、ナッパが気円斬の性質を知らないはずはない。